ここのところと言うか、年末から年始にかけての暴飲暴食がたたってか、腹まわりがあまりよろしくない。
ついついビールを毎日飲んでいたせいかもしれない。
無理矢理にスケジュールを空けて
手術をしたせいで、ありがたい事でもあるが、年始年末休日祭日も休まずにずっと仕事をし続けて、非常に運動不足というのもある。
締め切りに追われてアレンジして打ち込みをしていると、歩数計で計るとマズいことに1日あたり500歩程度しか歩いていない。
なので、2月に入ってからの晩酌はもっぱら焼酎か赤ワインを飲んでいる。
その焼酎で、最近のお気に入りは「
白玉醸造/白玉の露」だ。
「魔王」で有名な白玉醸造だけあって基本飲みやす系であるが、絶妙のバランスでコクと芋の香りがあり、いわゆる「芋くささ」もしっかり味わえる。
お湯割りはもちろん、気分でロックでも水割りでもいけるところも普段飲みに最適だ。
また、専門的な酒屋や通販で取り寄せなくても、近所のスーパーでも購入できるのもなかなか良い。
そんなこんなで、晩酌だけを楽しみに引きこもり生活(若手は「ぼっち生活」というらしい)を続けているわけだ。
そんななか、最近よく考えるのは「マンネリを打破すること」だ。
演歌や歌謡曲においては、先人達が懸命に積み上げてきた語法によって紡ぎ出されるサウンドが確固として存在する。
伝統と言っても良いだろう。
それに則りつつも、自分の個性や創造などを織り込んでいかなければ認めてはもらえない、と僕は考えている。
伝統的な語法をコピー&ペーストするように編曲するアレンジャーもいるが、それでは価格でしか勝負ができないように思う。
打ち込みにおいては正真正銘のコピー&ペーストだ。
特に通信カラオケの打ち込みの仕事をしている人は、コピペできるデータは山ほどあると思う。
もちろん、廉価で請け負い数で勝負する生き方もあってもよいだろう。
僕はプロセスも楽しむタイプなので、能率よりも創造の方を選んでしまう。
まあ、儲からないやり方であるが、どうせ仕事をするなら楽しまなければ損だよね。
そこで考えるのは、伝統70%創造20%マジック10%ということだ。
演歌歌謡曲では、リスナーも聞き慣れたサウンドが良い人の方が多いので、あまり冒険しすぎるのは良くない。
でも、伝統に囚われすぎるとマンネリ化する。
そこで僕は「過去データの流用はしない」という縛りを自分に課している。
典型的リズムパターンやフレーズなどのテンプレートも作らない。
能率は非常に悪いが、ドラムのパーツごとの音決めや、5リズム(演歌歌謡曲ではラテンパーカッションがいるので)のリズムパターンなど、すべてをゼロから作るようにしている。
歌詞をよく読み、デモ音源を聴き、イメージしながらひとつひとつの音色を決めていく作業は、実は僕にとっては楽しい作業だ。
その上、打ち込みも手弾きで自分のグルーブ感だし、
クオンタイズ(リズムを強制的に揃える機能)も20%だけ軽くかけることがたまにあるくらいだ。
そんな非効率なやり方でもメリットがある。
冒険も創造も基本的にはいらない、いわゆる「ド演歌」の編曲であっても、気がつくとなんとなく20%程度の創造的な要素が織り込まれていたりする。
細部に神が宿る、というやつで、不思議な事に苦労は報われるわけだ。
そしてマジック10%だ。
試行錯誤して七転八倒していると、あるとき伝統とか創造とかを超えて「音楽としてなんかいいよね」という瞬間が訪れる。
そうすると、怒涛のように完成していくわけだ。
その10%のマジックが訪れなければ、いつまでたっても完成度は90%のままだと自分では思っている。
そして、そのマジックはどうやら簡単には訪れないようである。
残念なことに七転八倒のプロセスが必須なようで、自分ながら
因果なやり方をしているとつくづく思う。
生のオーケストラで録音できればそれに越した事はないが、そんな機会は年に1、2回だ。
現実的には、打ち込みで頑張るしかないわけだ。
そんな訳で、ぜんぜん儲からないけど、まあ、楽しいからそれでいいかな。
- 関連記事
-
コメントの投稿