今回は真面目な話。
フリーランスで生きる事。
納税の月である3月は、昨年の収支をまとめて青色申告決算書に書き込んで、納税の基礎になる所得の数字を出さなければならない。
どうしても過去を振り返ってしまうわけだ。
音楽だけでなんとかメシが食えるようになって10年たった。
20歳で音楽で生計をたてると決心してから効率の悪いことに23年もかかった。
その間はバイトをして食いつなぐわけだが、最後のバイトは溶接工で、レンタカーの回送ドライバー、ビルの窓ふきなどの高所作業、ガードマン、配管工など、いろいろやってきた訳だがどういうわけかガテン系が性に合った。
そのおかげで手が腱鞘炎になって、今はピアノを弾くときに苦労している訳だが・・・
音楽での最初の仕事は、
ウエスタンカーニバルで名を馳せた某歌手のバックバンドだった。
それからバイトで食いつなぎながら、細々と音楽の仕事をこなしていた。
転機になったのは、29歳の時にある音楽事務所に就職したことだ。
月給貰ったりボーナス貰ったり、厚生年金に加入したり、この5年間は僕の人生の中で異色であった。
フリーランスでなく、組織の一員としての人生はこの5年だけだ。
その音楽事務所が経営するリハーサルスタジオの店長したり、ライブハウスのPAエンジニアや、レコーディングスタジオのエンジニア、またプロデューサーの付け人や、アーティストのマネージャーなど、音楽業界のスタッフ系の仕事をいろいろと経験できたことが、今の自分の基礎になっている。
その後にその事務所の契約作曲家になり、数年後に契約が更新されずにそのままフリーの作編曲家になって今に至るわけだ。
契約が切れてフリーランスになってからの青色申告の申告書と決算書が19年分がファイリングしてある。
それを見ながら、今を生きる事をモットーにしている自分も、1年に1回だけ過去を振り返ってみるわけだ。
慣れない請求書を書いたり、集金や督促で胃の痛い思いをしたり、仕事取る為に男芸者をしてみたり。
名刺の数が増えても、なかなか仕事の増えない現実。
くやしい思いはそれなりにしてきたと思う。
そうそう、ジョギングするようになったのもそれに入るのかな。
そこには、そんな数字が書き込まれている。
不器用で非効率な人生だが、僕にはそれが合っていたから、今ここにいるのだろう。
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