昨年、
ロイヤルホストの全席禁煙のニュースが話題になっていた。
客層を入れ替えるためと言われているようだが、具体的には子連れや3世代のファミリー客や、女性客が増えて客単価が上がる事は見越してのことだと言われている。
成功か失敗かはネットで検索しても、それぞれの立場でいろいろ評論されているので、僕には正直よくわからない。
ただ、僕が興味があるのはそこではなく「客層を選ぶ」という発想だ。
例えば、
Apple社のTV-CMなどある特定の層には強烈なインパクトがあると思うが、保守的な高齢層や子供、またIT機器に興味のない層には、何のCMかさえ解らないと思う。
自動車のCMも、売りたい年齢層の「青春の1曲」みたいな楽曲をBGMにしている例は多い。
飲食店も、あんまり考えないで入っても大外れのないような無難な店が減ってきているように思う。
「立ち飲み」や「昭和」や「ロボット」や「ワイン」や「シガー」や「スポーツ」や「エスニック」や「オーガニック」など、何が売りか一目でわかるような形態の店が増えているような気がする。
やはり、多様化や棲み分けを考えたマーケティングが必要な時代になったのだろう。
音楽に置き換えた場合はどうだろうか?
例えばライブの時は、ミュージシャンなら誰でも、来場してくれたオーディエンスに全員満足して帰ってもらいたいと思うであろう。
その為の選曲やパフォーマンスなど、様々な工夫をしてライブに臨んでいる。
しかし、音楽好きの人と、お義理や付き合いで来た人とでは、どうしても音楽に対する熱は違うであろう。
もしかしたら、ライブよりも気になる、サッカーの試合やオンラインゲームの対戦、投資の講習会などがあったかもしれない。
また、いくら音楽好きでも、自分でプレイしたい人や、オーディオマニア、アニソン好き、クラシック好き、洋楽ロック好きなど多用な楽しみ方があるわけで、すべてを満足させるパフォーマンスは可能であろうか?
やっぱり、当たり前だけど、20年前と比べてエンタテイメントの嗜好の多様化は、革命的に進んだと思う。
低成長と不景気しか知らない20代30代の層、バブルを知っている層、高度成長を知っている層、高度成長前の貧困を知っている層、それぞれの価値観が混在しているわけで、価値観の多様化はある意味当たり前だ。
音楽家として、その多様化に対応できているか、ここ数年自問自答し続けている。
みんなに音楽を届けたい、ではなく、その音楽が好きな人に届けたい、なのだろうか?
その音楽が本物でないと、その音楽が好きな人には届かないのではないのだろうか?
僕は作編曲家であるから、様々な価値観から生まれるニーズに的確に対応できる能力を求められている。
だからといって、広く浅く無難に、では通用しない時代になったと痛感している。
広く浅く無難にではなく、深く追求して本物になることが、「ある」オーディエンスに選ばれるミュージシャンであるならば、本物になる過程を見届けてもらえる「ある」オーディエンスを選ぶことも、ミュージシャンとして求められている時代になったのかもしれない。
僕は、この多様化の時代に対応できる「深さ」を音として表現出来ているか、この先も自問自答し続けようと思う。
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