打ち込みとは、コンピュータにプログラミングし、シンセサイザーやサンプラーを制御して音楽をつくる方法だ。
ソフト音源とは、ざっくり言えばコンピュータ上にシンセサイザーやサンプラーをソフトウェアによってバーチャルリアリティ的に再現させた音源のことだ。
なので、実機のシンセやサンプラーは「リアルシンセ」とか「リアルサンプラー」とか言ったりする。
アナログサンプラーは過去においても存在せず、アナログシンセは今でも現行機種として存在するが、それ以外はデジタルシンセと呼ばれて、実機であっても内蔵しているコンピュータで制御されている。
まあ、アナログのテープレコーダーで人力でテープを切ったり繫いだりして編集することを、強引にアナログサンプラーと言う事もできるかもしれないが、それは置いといて・・・
何が言いたいかというと、今も昔も多くのシンセサイザーと全てのサンプラーはソフトもリアルも含めて、コンピュータで制御されている、ということだ。
普通に打ち込めば、リズムやピッチ(音程)が揺らぐことはありえない。
対して生楽器は、当たり前だがリアルに人間の演奏するものなので「ゆらぐ」。
コンピュータでバーチャルリアリティとしてそれを再現させるには、その「ゆらぎ」をもプログラミングしなければならない。
しかしコンピュータに「打ち込んで」つくる音楽に「ゆらぎ」をプログラムする必然はあるのだろうか?
もちろんテクノやエレクトロなどの音楽には「ゆらぎ」はあまり必要でないだろう。
でも多くの音楽は人間的な感情を表現したものだと思う。
人間の感情はゆらぐものだ。
ダンスミュージックにしても、ゆらぐグルーブ感が気持の良いことも多いと思う。
僕は、生楽器をダビングすることが前提のセッションには、極力「ゆらぐ」ように打ち込む。
ある程度のシンセやサンプラーの音の数がある中では、少数の揺らぐ音は上手くは溶け込んではくれない。
もちろんそれを狙った場合は限りではないが、音が調和していないと基本的には気持の良い音にはならない。
そして録音の現場で演奏する側は戸惑ってしまう。
演奏で表現する前に、自分のリズム感や音程感に自信が持てなくなってしまうこともあるようだ。
または、表現することよりも機械のような正確な演奏になってしまう場合もある。
そうなっては、生身の人間が演奏する意味が失われてしまう。
「ゆらぐ」ように打ち込むことに僕はこだわっている。
自分の音づくりにおける特長だと思っている。
次回はもう少し具体的な話を書きたいと思う。
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