3月からアレンジャー人生始まって以来の忙しさだった。
最高で歌もの7曲を同時並行して作業していたときもあった。
今も3曲かかえて、尚かつ劇伴(劇中伴奏音楽)の作曲の仕事も始まったのでヒマなわけでは無いが、一時期と比べて一息つける状況にはなってきた。
我々の職業は「忙しい=収入が増える」なので、本来はこの状況はウェルカムなのだが、それにしても忙し過ぎた。
そのせいか、脳味噌が高速に回転するときに疲労感を感じることがある。
まあ、人間でも機械でも定期的なメンテナンスが必要なのだろう。
アベノミクスの効果(あまりアベさんの経済政策を評価していないのだが)で景気が少しは良くなったのかどうかは判らないが、この仕事はいい仕事を積み重ねても「飽きられる」ということがあるので、ついネガティブに「今だけさ・・・」なんて考えてしまうのだが。
それはさておき「心の数値化」。
もちろん楽器は心で演奏するものである。
正確には、心を指や腕などの身体の運動に変換して表現するものだ。
楽器の練習は、心と身体運動を同期させるトレーニングであるわけだ。
俗にいう「打ち込み」と言われる、コンピュータを中心とした音楽制作システムは、機械の持つ「正確性」や「再現性」など、人間的で無い「揺らがない」ことを表現するには向いている手法である。
人間の心の表現から離れることによって「心の抽象化」を表現する、例えばテクノミュージックやミニマルミュージックに向いたに音楽の作り方であったように思う。
しかし、最近は「心を身体運動に変換する」楽器演奏を、さらに打ち込みで再現して欲しいという要求が高いように思える。
具体的には、クライアントの「予算はこれだけなので、あまり生楽器の演奏は使えないと思うけど、なんとか・・・」の要求に応えて、競争に勝ち抜くクオリティに仕上げるには「仮想現実の構築」しかないのである。
世界的に多分その傾向なので、沢山の「仮想現実の構築」するソフトイントゥルメントが発売されていて、新製品も続々登場している。
まあ三次元の世界、ハリウッドの大作でも「仮想現実の構築」であるCGを使いまくっているので、その流れが音楽の世界にも遅ればせながら訪れてきたようだ。
だが、いくらリアルなソフトイントゥルメントの音色でも、人間の演奏特有の「ゆらぎ」を表現できないと、リスナーに「演奏」でなく「打ち込み」と思われてしまう。
なので「打ち込み」を「演奏」にするために「心の数値化」が必要なのである。
本当にコンピュータに取り込んだいろいろな演奏データを波形で解析して、数値に変換して打ち込む人もいる。
しかし、僕のやり方は様々な演奏家のクセを「耳」と時には「波形」で解析して自分のキーボーディストとしての演奏能力を通して、自分特有の「ゆらぎ」を表現しようというやり方だ。
そのやり方がスタンダードかどうかは判らないが、音楽制作の現場が「仮想現実の構築」の方向であるならば、それに対応できないと生き残れないので、やるしかないわけだ。
だが、物事には反動もある訳で、「仮想現実」と同時にリアルの生演奏の場も求められているようだ。
ライブやコンサートの動員が増えているという話を良く聞く。
「打ち込み」の技術を上げるだけではなく、ピアノの練習もマメにしないといけないわけだ。
なるほど、最近はアレンジャー兼ピアニストとしてのライブに参加することも増えているように感じていたところだ。
ふと気がついたが、楽器の練習も、打ち込むための演奏の解析も、身体運動とコンピュータの違いがあれど、人間の心と同期させる作業であるのかもしれない。
やっぱり脳味噌が忙しさで疲れているのか、ライブで演奏するのも、打ち込むのも、音楽の表現方法として大した違いがないように思えて来た。
やれやれ・・・。
本来のアレンジャーとしての勉強以外に、演奏の解析、ピアノの練習に、などなど、やらなければならないことがどんどん増えているようで、どうやら好きな酒を飲んだくれているわけにはいかないようだ・・・。
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