近年は作詞などをするので、何気ない言葉の意味や引用について、よく考えるようになった。
日常的に使う言葉にも、無意識ながらもその人の心情を感じさせることも多い。
例えば「凄い」という言葉。
本来は「ぞっとする程恐ろしい」という意味であるが、「程度がはなはだしい」「並外れている」という表現で使われることが多いようだ。
ただ「恐ろしいほど優れている」という意味合いでは古い時代から使用されているそうで、「凄い」の意味が近年になって急に変わってきた、という訳ではないらしい。
TVの報道番組などの台風についてのインタビューで「凄い風で」「凄い雨で」などの使用は本来の意味に近いと思う。
しかし、バラエティ番組でよく聞く「凄いキレイ」とか「凄くいい人」などは、単純に「並外れている」という表現だけなのだろうか?
ガールズトークで「◯◯ちゃんて凄い。毎日自分とダンナと子供のお弁当作ってるんだって。」「◯◯課長って、毎日食事の後片付けするんだって。凄いね。」など、良く聞く話だと思う。
こうして改めて文章にしてみると気がつくのは、何と比較して「凄い」と言っているのだろうか、と言う事だ。
多分「自分」と比べて「凄い」と言っているのだろう。
でも「凄い」の意味としては「並外れている」なのだから表現としては少し大袈裟なのだが、だからといって違和感はない。
「凄い」のかわりに「なかなかいいね」なんて言おうものなら「上目線のイヤなヤツ」と思われるかもしれない。
自分と対等か、若しくは下からの言い方ならば、少し大袈裟の方が嫌味なく相手も受け取ると思う。
タイトルに書いた、「凄い」という言葉の持つ哀しさ。
先に書いた「自分」と比べて「凄い」と言うのは、言葉の影に「自分も頑張ればできるかもしれないが、そんなに頑張れるほど私は強くない」という意味があるように思う。
もちろん本来の意味で使われることも多いと思うが、対人間というより天変地異や大規模な事象などに特に多く使われるように思う。
しかし、1人の人間や、その作り出したものに対する「凄い」は、自分や現実に対する「あきらめ」と相手に対する「羨望」と少しの「嫉妬」が含まれているように、僕には感じられる。
若い、例えば10代の子の「凄い」は、まだまだ未来があるから無邪気な「凄い」で、何か微笑ましい。
中年以降の「凄い」は、いろいろな人生があった「哀しさ」が感じられる「凄い」の表現かもしれない。
言葉って面白い。
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