仕事が終わり、心身ともにダシがら状態になったとき。
少し前までは、無音を(正確に言えば暗騒音を)聞きながら、1人で酒を飲んでいた。
今はJazzを聞きながら飲んでる。
主にモダンジャズを聞いている。
正直、
Bill Evans は、センチメンタル過ぎて苦手だ。
でも、晩年のスタジオ録音の2枚「I Will Say Goodbye」「You Must Believe in Spring」の、突き抜けたセンチメンタリズムは好きだ。
何か透徹した人生感が感じられる。
自分の仕事にも言えることだけど、ダサかろうとクサかろうと、突き抜けてしまえば美しいと言うことだ。
なんて、カッコつけて言い過ぎで、理屈はともかく酒が美味くなる素晴らしい音楽に違いないわけだが。
だが、1つ気になる事がある。
ピアノの定位が、右から左までのいっぱいの音像に広がっていることだ。
低音が左いっぱい、高音が右いっぱいで、まるで巨大なピアノの蓋の中に首を突っ込んで聞いているようだ。
僕も少々ピアノを弾くのだが、ピアニストの位置で聞くイメージの再現として聞いても、低音高音はあんなにキレイにセパレートしていない。
もつと、音の塊として、楽器全体の響きとして聞こえている。
また、凄くオンマイク(マイクを接近させた収音方法)で、ピアニストの位置と考えても音が近過ぎることに違和感がある。
楽曲も演奏も素晴らしいのだが、ピアノの定位が気持悪いので、小さなオーディオ装置で離れて聞く様にしている。
そうすると、モノラルの一点定位で聞いているのと変わらなくなるので。
どうして、当時のエンジニアやディレクターはそんな定位で2Mixマスターを作ったのだろうか?
それに、広げ過ぎると位相が悪くなるリスクもあるのに。
僕は自分がMixする時のピアノの定位はモノラルか、広げてもパンニングは50分10分あたりだ。
Lchモノラル振り切りの時もある。
他にもJazzのスタジオ録音には、不可解な定位や近過ぎるオンマイクの録音がかなり多く感じる。
その中にも名盤と言われる物が沢山あるわけだから、何かが良くて愛されているのだろう。
ただ、僕には音楽や演奏の素晴らしさはわかるが、あの録音が愛される理由がわからない。
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